今は、なんでも安く購入できる時代で、洋服はワンシーズン着用したらお役御免という方も増えてきていると思います。
家具や寝具なども安く購入できるので、お布団を一生ものだと思って購入する方は少ないのではないでしょうか。
昔は、今のようになんでも簡単に手に入る時代ではなかったので、着物やお布団を花嫁道具として持って嫁いだ女性もいたそうです。
今回は、昔の生活から学ぶ寝具や着物の歴史をご紹介していきます。
昔は、お布団も着物も貴重だった!
お布団は、昔、「蒲団」と呼ばれ、文字通り蒲の葉っぱで編んだ座禅用の敷物が起源と言われています。
日本へは、鎌倉時代に、中国から禅宗と一緒に伝来しました。
江戸時代には、「夜着」といって、着物の形した綿のお布団が使われるようになります。
当時、綿のお布団は、かなりの高級品で、今でいう高級外車ほどの価値があったと言われています。
庶民は、今よりも気温が低く設備も満足でない環境で、和紙でできたお布団で寝ていたそうです。
冬は、どうやって越していたのだろうと考えると、昔の人々の辛抱強さに頭が下がります。
昔のお布団は、持つ人のステータスを示し、着物は江戸当時の社会制度をそのまま表したアイテムでした。
昔のお布団や着物からひも解く人々の生活
お布団は、中国から伝来されてきましたが、他国との交流がなかった時代は、どんな寝具を使っていたのでしょうか。
古代、敷布団は「むしろ」と呼ばれ、わらや稲などを編んで作られました。
日本でベッドが一般的に使われるようになったのは、つい最近というイメージがありますが、実は、はるか昔の弥生時代からベッドを使っていたという記録があります。
当時は、丸太をベッドのように使っていたそうです。
平安時代になると、畳が主流となります。
平安時代の貴族たちは、天蓋の付いた畳のベッドで寝ていたそうです。
ベッドの歴史がここまで古いとは驚きです。
また、着物は、中国と交流がさかんになった古墳時代から日本に広まりました。
古墳時代は、韓国の民族衣装である「チマチョゴリ」のようなデザインの着物が主流だったそうです。
今の羽織って帯で締める形に近いデザインに移り変わっていったのは、平安時代で、時代劇などでよく目にする十二単も登場しました。
それから、振袖のように袖が長いデザインからより動きやすく機能的な小袖の着物が広まったのは、安土・桃山時代です。
昔は、着物もとても貴重なものだったので、お布団と同じようにステータスを示すアイテムでした。
昔のお布団や着物が今の形になるまでの歴史
昔、綿のお布団は、今の高級外車ほどの価値があり、庶民には手が出せないアイテムでしたが、いつ頃から一般庶民にも使われるようになったのでしょうか。
国産の綿は今でも高級品ですが、文明開化をきっかけに、安価な外国産の綿が出回り、庶民にも少しずつではあるものの広まっていきました。
しかし、ここである問題が発生します。
その問題とは、「カビ」です。
保湿性の高い綿は、保温性にすぐれている反面、湿気が発生しやすく、お布団を万年床として使っていた当時は、多くの人が「カビ」に悩まされました。
このことをきっかけに、お布団を万年床にして敷きっぱなしにするのではなく、きちんと「上げ下ろし」をするという慣習が広まりました。
戦前までは、お布団は、自分でわたを買ってきて、家で仕立てるのが一般的で、寝具店は存在しませんでした。
それから安価なインド綿が輸入されるようになり、寝具店も登場します。
このころから、お布団は自分で仕立てるものではなく、買うものという風に文化が移行していきました。
お布団や着物は、文明開化によって大きく形を変えてきたのです。
昔の人々は、お布団や着物を大切に使っていた
安価なインド綿が大量に輸入され、一般庶民に綿のお布団が広まるまで、お布団は大変な高級品で、今のように、へたったら買い替えるというような発想はありませんでした。
昔は、お布団を大切に厳重に扱われていたのです。
昭和時代まで、寝具店は存在せず、綿を買い、各家庭でお布団を仕立てていたとい言われており、仕立て方は、布の内側に真綿をはりつけ、その上に綿をはり、裏返して縫い合わせていたそうです。
洗うときは、仕立てたお布団を解き、中から綿を取り出し、業者に頼んで綿を洗ってもらってという工程でした。
当時、綿をクリーニングする業者は、いろいろな家庭の綿を一色淡にて洗うため、人々は、家に戻ってきた綿がどこのお家の綿かわかないことを揶揄し、その綿のことを「おばけ綿」と呼んでいたと言われています。
そして、またお布団を仕立て直し、繰り返し使うという生活をしていました。
着物も汚れたりほつれてしまって使えなくなったものは、雑巾などに仕立て直して、ボロボロになるまで使っていたそうです。
もの価値が下がり、ありがたみが薄れてしまった今、昔の生活から学ぶことは多いです。
昔のお布団と着物は長持ちする良品だった
昔は、お布団も着物もとても貴重で高級品でした。
質もよく、国産の綿で作られたお布団は一部の富裕層しか使っていなかった貴重品です。
昔は、今のようにクリーニング技術もなかったため、お布団を頻繁に洗うことはなかったそうです。
庶民にも綿のお布団が広まるようになってからもまだまだ貴重でした。
お布団は、各家庭で仕立て、洗うときには一旦、ほどき、綿をクリーニングに出して、布は手で洗ってまた仕立て直してと、気が遠くなるような手間をかけていました。
それだけ綿のお布団は貴重だったのです。
昭和に入ってからも綿のお布団はまだまだ高級品で、戦後、一般的に使われていたのは、「わら布団」だったそうです。
これも各家庭で仕立てていたそうで、わらを天日干ししたものをお布団の中に入れ使っていたそうです。
また、沿岸部では、「アマモ」という、海藻の一種を天日干しし、お布団の中に入れ、使っていた家庭も多かったとも言われています。
裕福な家庭では、わらのお布団を敷布団に、綿のお布団は掛布団にと使い分けていたそうです。
わらや海藻を干すところからお布団を仕立てていたのかと思うと、今のくらしがいかに快適か思い知らされます。
着物も反物から仕立て、子供の成長に合わせて仕立て直しをしていた家庭も多かったそうです。
昔のお布団や着物に流行はあったのか
時代の移り変わりによって、お布団も着物も形を変えてきましたが、その時代によって流行はあったのでしょうか。
綿のお布団は、文明開化により、日本の家庭に広く出回りました。
では、着物はどのようなことがきっかけで日本に広まり、どの時代から洋服が主流となったのでしょうか。
着物は、安土・桃山時代に、今の訪問着のような小袖の着物の形が定着しました。
江戸時代に入り、遊女は、着物を着崩し、花魁は帯を前で結び、妖艶さを演出するなど、着物によって、個性を主張するという文化も生まれました。
日本に洋服が広まったのは、明治維新後と言われており、当時、政治に反発する若者が、洋服と着物を合わせた奇抜な恰好をしていたことが話題になりました。
今もリバイバルと言って良いのかわかりませんが、ロックバンドが着物と洋服を組合わせたものを衣装に取り入れるなど、着物の魅力が改めて見直されてきています。
また、洗える着物というのも販売されており、若い女性でも着物を着て、街を歩く人も出てきました。
昔も今も生活と密接にかかわるお布団や着物。
時代を反映し、文化の移り変わりを象徴するアイテムです。
昔からお布団や着物は時代を象徴するアイテムだった
昔からお布団や着物は、時代の移り変わりや社会制度を反映したアイテムで、人々のくらしに、密接にかかわってきました。
昔の人々は、お布団も着物もぼろぼろになるまで使い、お手入れにかける時間を惜しみませんでした。
一から作り、仕立て直して使うことが当たり前だったお布団や着物。
今となっては、お布団は、丸洗いできるものもあり、お手入れが簡単になり、洋服は、昔からは考えられないほど安くなりました。
流行によってワンシーズンごとに買い替える人も多いですが、良いものを買って長く大切に使うという昔の人の精神も取り入れたいものです。