お布団といえば、日本に昔からあるイメージですよね。
ですが、一般家庭でもお布団が普及するようになったのは、そんなに昔の話ではないようです。
では、昔の人はいったいどんなものを使って寝ていたのでしょう?
今回は、お布団の歴史についてお話していきましょう。
お布団は昔からあったわけではない!?お布団の歴史を知ろう
昔の人々はむしろや丸太をベッドに使っていました。
むしろというのは藁・稲・蒲を編むことで作られる敷物のことです。
むしろはゴザとも呼ばれています。
和歌山市の西田井遺跡から弥生時代から古墳時代に至る竪穴式住居が発見され、さらに木の幹にはベッドのような跡が残っていました。
それは昔の人たちが丸太をベッドにお布団をむしろにして寝ていたという証拠です。
丸太を使うことで地面に寝るよりも高い位置で寝れることから、毒蛇や昆虫の被害、そして雨で濡れることを避けていたと思われます。
また、古代では掛け布団のことをフスマと呼んでいました。
フスマという音からは木の枠組みに紙を張った襖を思いつくでしょうが、古代から鎌倉時代までは掛け布団のことでした。
フスマの語源は、臥(ふ)すの裳(も)、つまり寝ているときの着物という意味ですが、そのフスモから転じてフスマになったのではないかと考えられています。
フスマは腰から下を覆うようなもの、もしくは一般的な着物の形状だと考えて良いようです。
そのように現在のお布団やベッドになるまでは、まだだいぶ時間がかかるわけなのですが、歴史的にみれば寝具はかなり古くから生活に根付いていたと言えるでしょう。
お布団が普及し始めたのは、実は最近だった!?
わたしたちが普段から使っているお布団は、木綿入りのお布団です。
そのようなお布団を庶民に普及するようになるのは、昭和になってからです。
それまでは綿布団はごく一部の富裕層しか買うことのできない高級品だったのです。
それよりも昔、戦国時代・江戸時代では夜着(よぎ)と呼ばれる綿布団の原型が作られています。
そのころは木綿の普及が進んでおり、中世以前にはなかった寝具を作れる時期でもあったわけです。
夜着という名称が文献に現れるようになるのは16世紀の後半からで、一般化するようになったのは上方では17世紀前半です。
夜着は、掛け布団の一種だと考えることができて、綿入りの着物のことで、「かいまきふとん」と呼ばれることもあります。
夜着の特徴は、肩が覆われているので保温性が高いことです。
原型は、鎌倉時代に武士が着ていた湯帷子(ゆかたびら)だと言われています。
夜着の生地は、上質なものだと友禅染(ゆうぜんぞめ)の絹で、一般的なものだと藍染(あいぞめ)の麻や木綿となります。
また、縞や絵絣(えがすり)、中型染め、筒描といった模様を描いたものもありました。
そのように日本の歴史全体から見れば現在のお布団の歴史はかなり浅いのです。
お布団の歴史!綿布団は昔でいったら、超高級品!?
お布団の歴史は始まったばかりだと言えます。
日本では明治半ばになってからようやく一般的に綿布団が普及したくらいです。
それでも明治では、農村部では藁やもみがらが寝具の主流でした。
それよりも昔、お布団の歴史に重要な時期としては、江戸時代と幕末があります。
そのころは、綿布団が珍しい時期で、夜着という寝具が作られていました。
綿花の生産が増えてきている時期でもあり、夜着には綿が使われていますし、また掛け布団や敷布団という言葉が使われだしたのもこの時期です。
さらに時代を遡ると、元禄の1688年、綿花がかなり貴重な時代なのですが、綿布団は遊郭で使われていました。
そのころは綿花はかなり貴重で、一般の人たちは紙布団、つまり和紙を敷いて寝ていました。
このころのお布団の値段は30両以上です。
1両の価値が現在の20万円や30万円であり、30両というと600万円から900万円くらいになるのでお布団1枚で車1台分の価値なのです。
家族分揃えるとなるとお金持ちしか持てなかったでしょう。
そのように現在では普及している綿布団は、かなり高価だった時代もあったというわけです。
ベッドは昔からあった!?意外にも歴史が古いベッド!
ベッドの歴史は、日本では奈良・平安時代からあります。
当時はフカフカのお布団はありませんが、ベッドは昔からあったのです。
日本に現存している最古のベッドは現在から約1600年前の天平勝宝8年(756年)のもので、聖武天皇の御遺愛の品を光明皇后が東大寺に献納した物品の一つである寝台です。
正倉院にも同様の寝台があり、正方形となるように二つ並べて、とばりを下ろしていたことが分かっています。
また、中はスノコ状の8本の部品を組み合わせている丈夫な作りで、上は畳などを敷いて利用していたと推測されています。
畳は奈良時代にできたものです。
現存する最古の畳は、奈良東大寺正倉院にある聖武天皇が使用した御床畳(ごじょうのたたみ)です。
それがベッドの上に置かれた畳だと考えられています。
御床畳は現在の畳と同じような形状をしており、錦の縁がついています。
平安時代になると敷布団の中心は畳になります。
また、何枚もむしろを重ねたものを『古事記』や『日本書紀』から八重畳と呼んでいたことが分かっています。
ベッドの歴史を知ろう!日本にベッドが普及したのはいつから?
日本のベッドの歴史は明治時代・大正時代に急変します。
西洋文化が日本に入ってくるからです。
そのため、日本でベッドを作る人も現れるようになりました。
しかし、日本産のベッドがあるといっても普及にはまだ時間が必要で、当時のベッドは高級官僚やお金持ちの要望によって特注で作られているだけでした。
当時は、畳の上で寝るのが普通で、ベッドは浸透しなかったのです。
そして、ベッドという名前は昔は使われておらず、「ベット」と呼ばれていました。
それは英語ではなくてドイツ語の「Bett」を参考にしたからです。
ドイツ語を参考にした理由は、医療現場を中心にドイツ医学を使っていたからだと考えられています。
それから昭和30年以降、つまり戦後になると双葉製作所(現フランスベッド)がスプリングを使ったソファベッドを販売するようになります。
そして、吸湿性に優れるダブルクッションベッドという日本の気候にマッチした商品の登場します。
さらに、人海戦術・ローラー作戦といった販売努力がありました。
また、当時でも高級であったベッドを購入するための月賦販売という販売方法をし、お布団が普及していたこともあって、日本にベッドが普及するようになりました。
羽毛布団はいつから普及した?羽毛布団の歴史
綿布団がありますが、羽毛布団もあります。
日本における羽毛布団の歴史は、大正・明治からです。
上流階級の人たちのように海外に旅行して、海外から持って帰ってきたことが始まりです。
また、昔は羽毛布団は舶来品であったためにとても高価でした。
一般家庭で羽毛布団が使われるようになったのは昭和40年代前半です。
ちょうど高度経済成長の時期で、庶民でも羽毛布団が手に届くようになったというわけです。
当時の羽毛布団は、ヨーロッパからの輸入品が多くて、40%もの税金がかけられていたので高価なのに変わりはありません。
それでも、昭和44年には物品税が廃止され、さらに昭和47年に急速な円高になったことで、羽毛布団は贅沢品から実用品になりました。
そのため、羽毛布団の需要が増加し、国内でも羽毛布団が作られるようになりました。
しかし、高価なのに粗悪品が出回るようになって消費者が不安感を抱くようになったため、平成元年になると日本羽毛協会が中心に羽毛の試験方法のJIS規格が作られることになり、羽毛の品質が一定以上になりました。
このようにして、羽毛布団の品質が良くなっていったのです。
お布団の歴史について
お布団の歴史についてご紹介しました。
意外にも、お布団が一般家庭でも使用されるようになったのは昭和に入ってからです。
また、今ではどこでも手に入れることが出来るお布団ですが、昔にとっては、超高級品だということが分かりました。
お布団の歴史、知っているようで、知らない方も多いのではないでしょう